留学中の苦しみと周囲の反応

堅くて何向けなんだかよくわかんないブログ書いてたら眠くなってきた

もっと心に寄り添った適当な文章書こうと思う、こういう情緒不安定な感じだからこんな人間なのかもしれない。それはさておき

 

私が今一番苦労してることは、在日日本人(?)からの理解を得ることが相当難しいこと。

それは家族も含めての話、友達は全員切れた。というより自然消滅に向かって全力で行進していた。みんなが大学生になったあと、引きこもりニートの私は留学に出たので、必然的に友人にあえばあの人達は私に大学の話をしてくるわけなんだけど、大学の常識は日本の常識であり、私もなぜか知るべきである常識であるように話してくるのに、なぜか私の留学の話はキラキラで素敵で何もかもうまく行ってなきゃいけなくて、軽率に一限切ったぜ〜〜ウェーイwwwとかマジあの教授最悪ぅ〜〜これは自主休講以外ないわぁとか言ってはいけないような雰囲気なのである。

 

留学生が許される愚痴は決まっていて、それは

・日本のテクノロジーが素晴らしすぎて、こっちで生きていけない

・日本人がすごく礼儀正しく優しく冷たくなくて察してくれるのに対し、外国人は本当にわからんちんで何も考えてないバカばっかで辛い。

もしくは

・日本のご飯が美味しくて懐かしくてホームシック、早く日本に帰りたい

ということだけなのである。

やれコンビニが無くて辛いだの、カラオケ行きたいとかファミレスがあればいいなぁとかおにぎりがないわとかパンしか食べるものとかないってずっと言い続けないといけない。

 

人間関係の愚痴や疲れを話すと必ず日本人は「それ何人?そういうお国柄なんじゃない?仕方ないよ」と正論のようなレイシストのようなグレーゾーンの一言を返し、自主休講レベルの疲れだわほんとというと「親から金出してもらって(もしくは大金払って)サボるって馬鹿じゃないの?留学やめれば?」と言い、論文が辛い、英語がついていけないといえば「そんなことわかって言ってるじゃんじゃあやめなよ」と返ってくる。こだまでしょうか、いいえだれでも。

それって全部ブーメランだからな、お前がいちいち友人や彼女彼氏の愚痴を言うたびに私はココロの中で「それどこの人?長野の人だったら仕方ないんじゃね、長野が育んだ性質だよ(長野県の人ごめんなさい)」とか自主休講キメたわ〜wwwとほざけば心のなかで「親に金出してもらって馬鹿なの?大学やめろよ」と思っているし、卒論終わんねえこんなの無理といえば「わかって入ったんでしょ?アホなの?大学やめちゃえば強制じゃないんだし」と思っています。

すべてブーメランなんですね、それでも彼らは私に大学の愚痴を言おうとする。大学の話をしてはこの流れを繰り返す。その割に私の話には正論と手厳しい言葉で返してくるんです。

私が一つでも大学やめれば?と返せば、真剣な顔して「大学はみんないってるから出ないとだめだよ、逃げ道がないんだから仕方ない」とまるで私が悪いみたいな顔してる。本当うんざりした

結果みんないなくなった。

 

でもね、言いたいんだけど。中国人韓国人ナイジェリア人関係なくみんな同じように生きていて、みんな同じような割合で変な人がいて、それはお国柄以上に個々人のモノだから。お国柄で出ることなんてなく、それを言うならすべての愚痴は地域のせいになってしまう。外側から見るだけなら何人という区分けで分けるので十分かもしれないけど、直接関わる側としてそれは本当におかしい話です。それこそ、私千葉県で育ったから絶対に埼玉県の人とは関われないの…なぜなら埼玉県の人だから…って言ってるようなもんだよ。めちゃくちゃだってわかると思う。

 

それと日本のコンビニやテクノロジーや24時間ドリアを食べられる場所はとても恋しい、たこ焼きも恋しい。だけど、なぜ海外を出汁にしてまでそれらが素晴らしいと認識しなきゃいけないのか。

一説によると(私の独断と偏見の一説)日本人はどうやら、留学を通して日本の良さを再確認したいらしい。

留学に行って、やっぱり日本はすごい!日本はすばらしい!って思いたいらしい。そしてみんなにもそう思ってほしいらしい。

私は残念ながらそこまで日本のことを好きでもないし、日本すばらしいとは思えないけどそういう傾向がある上に、それを全員に求めてしまう傾向がある人が多いので、非常に苦しいんですね。

 

長い間、愚痴を言えずキラキラ輝いた生活を保とうとしても絶対にうまくいかない。でも理解が得られない、それはとてもつらいことです。

留学だけじゃなくていろんなことに言えると思うけど、本当に辛いことです。

それで日本人の中で孤立したり、親戚の集まりで輝いた生活を期待されたり、そんなふうなプレッシャーの中生きていることを知っていただきたい。

 

ごめんなさいただの愚痴になっちゃった